Vol.32 40th Anniversary – Part1

おかげさまでプロスランゲージセンターは創立40周年を迎えました。これを一つの節目として、代表 本山に、プロスと共に歩んだ40年の歴史を振り返ってもらいました。長編大作となりましたので、いくつかに分けてお届けする予定です。どうぞごゆっくりご覧ください。


「40周年だからお祝いしましょう。」

言われて初めて気がついた。プロスランゲージセンターは今年で40周年。40年の奇跡を支えてくれた多くの方々、働いてくれた先生方、その過程で出会った素晴らしい生徒達と保護者の皆様に心からの感謝をこめて、プロスと私のささやかな歴史を振り返ってみたい。奇跡が続いてプロスが次の世代に引き継がれた時も、ことばの力を育てる学校であり続けることを願って・・・。

プロスランゲージセンター誕生

プロスランゲージセンターは、1983年4月11日に大東市住道で英会話 & 英語学校として誕生した。初代のネイティブ講師はインド系アメリカ人のディーパ先生。ゼロからの出発だったが、当初から対象は3歳から80歳。寺子屋的学校を目指して、幅広い年代の様々な才能を持った人が集まってお互いに学び合う、そんな理想を掲げて始まった英語の学校だった。

ことばとの出会い

私が幼少期に言葉に興味を持ったのは、人と同じように話せないもどかしさからだった。幼稚園の頃から全てにおいて人の2倍は時間がかかる超ゆっくりペース。話をしようと思うと涙がでる。

「他の人と同じように話がしたい。」そう思いながら、じっと皆の会話を聞いている子供だった。

そんな私が英語に出会ったのは小学5年生の春。アメリカ帰りの近所の叔母さんに英語を教えてもらったのがキッカケだった。普通なら、かなり心配な子供だった筈だが、どんな時にも明るく「あなたには才能があるから大丈夫」と言い続けてくれた母に背中を押されて、初めて英会話なるものに挑んだ。

今から思うとフォニックスの走りのような教授法で、【a】 を 「エイ」 と発音せず [æ] と不思議な発音をする。面白い音に妹と爆笑しながら、「これを頑張ったら、人の前でお話することができるようになるかもしれない」と、根拠のない希望を持った。そこから私は猛烈に英語だけは頑張った。その甲斐あっていつの間にか普通に話ができるようになり、自信を持って積極的に様々な活動にも取り組めるようになった。

言葉の力を育てることは、才能を生かす大きなきっかけになる。」「子供には様々な才能がある。その才能を信じて育むことが大切。」経験から生まれたこの二つの思いは、後にプロスを支える信念になった。

幼少期には「少年少女世界文学全集」にはまり、「いつか色々な言葉を日本語にする仕事がしたい」と思った。高校時代には「将来は言葉のプロになって様々な人のお手伝いがしたい」と漠然と決意した。その頃テレビで放映された「ロッキード事件」の法廷での通訳を見て感銘を受け、いつか通訳もやってみたいと思うようになった。大学も神戸市外国語大学で英米学科に進んだが、いざ就活をする段になって「もっと大きな視野でものごとを見たい」と、いきなりフランス留学を決意。型にハマらない大学生で溢れるディジョン大学で1年間学んだ経験は、「全ての人には才能が活かせる場所がある。」という思いを強固なものにした。

理想の教育法を求めて

生徒の才能を信じて育てる。将来につながる実践的な英語力を習得する」。そんな理想を掲げて始まった英語スクールだったが、脇目もふらずにエンジン全開で走っていた私は30歳を前にはたと立ち止まる。

「海外との取引や交渉、通訳、翻訳も経験せずに、実践的な英語力を習得できる学校と自信を持っていえるのかしら。」「最適な時期に最高の教育を提供する学校に育てるためには、どうすれば良いのだろう。」

「プロスを理想の学校に育てるために、現場で実践を積み、必要な英語力を実感したい。」

悩んだ挙句そう決意した私は、理想の英語教育を目指して再び突っ走ることになる。朝から夕方までは現場で働き、夜はプロスで学生を指導するという二足の草鞋(わらじ)ライフが始まった。ツアコン、通訳、海外との交渉、国際会議でのプレゼンテーション等、様々な状況で必要な英語力を実感した。どうすれば必要なスキルを効率良く習得できるのかを考え、結果をプロスに還元しようと頑張った。


次回は『今のプロスにつながるエピソード』をお届けします。お楽しみに!

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